2014年4月2日水曜日

宗教の現代的意義に関する覚書

佐藤優著「サバイバル宗教論」を読了。氏の存在は知って興味は持っていたものの著作は読んでいなかったのだが、持っ ていた印象より以上の鋭さを感じる。外交官としてのロシア勤務から鈴木宗男事件にからむ「疑獄」逮捕は国家権力というものの苛烈な分水域に身を置くものに しか起きえない出来事だ。しかし氏の与える印象の中心にある求心力は権力に翻弄された、体験としての価値ということではない。ひとえにキリスト者として の、宗教者としての側面と、外交官としての側面とが論理的整合性を持っているという点に惹かれる。
本書は臨済宗の僧侶100人に対する講義という形式をとっている。全体の印象をいえばタイトルのとおり、宗教がどのように現代までサバイブしてきたのか、ということを述べているのだが、いくつかの重要なことが書かれている。
ひとつは宗教の生成について、
狩猟採集生活から定住して農耕をすることで宗教が生成されるという説。定住することによって死体をどうするか、という問題と関わることになる。これによって死に対する考えが精緻になっていくという説である。つまるところ宗教が構造的な生成物であることが述べられている。

次に現代における宗教の機能について、
以前とりあげたマイケル・サンデルの著作における解釈と同様に、国家と人民との中間集団としての宗教団体の機能的意義をみている。

次に宗教と権力の関係、
宗教が権力と結びついている場合、聖職者は独身制である。
“カトリシズムの世界で、なぜ聖職者が独身制をとられているのでしょうか。聖職者が独身制をとっている国というの は、例外なくその社会で宗教が実態として力を持っているところなんです。そういうところでは、独身制にしておかないと子供に権力を継承させることになり、 財産や権力というものが特定の門閥に集まることになります。それを排除しないといけないから独身制にするわけです。”(p226)
宗教上の制度が権力の構造的問題について語っている。また、国家中枢の官僚育成システムについても、オスマン帝国の デウシルメ制(キリスト教の家庭から優秀なものを強制的にイスラームに改宗させ徹底的に官僚教育する。その家族からは役人を出さず、また新たに徴用する) という制度を例にとって、逆説的に権力の継承によって派閥が生成され国家が弱体化すると述べている。
権力の継承が国家を弱体化させるのは歴史的に真であると言えるのは国家が権力を継承させないシステムによって明らかであるように思える。
では現在の状況はなんなのか。
考えたいのは国家と宗教との持続性の問題である。国家は宗教よりも持続可能性が低い。一夜にして国が崩壊する可能性が否定できない。国家が物理的システムであるからである。では宗教とは何か、習慣―感情的システムであるという印象だ。
それでは日本の感情的システムとは―自己がありながら自己がない、小室直樹著「三島由紀夫が復活する」における三島哲学の根底にある唯識論における「空」の論理が関わっている、というのが個人的な見解である。これについては時間をかける必要があるだろう。

0 件のコメント:

コメントを投稿