2014年7月23日水曜日

近況

前回の更新からまたずいぶん経ってしまった。ここ3か月で起こったことは悲惨を絵に描いたようなものだというには早すぎるかもしれない。それは今後ずっとにかかわるものだからだ。
しかしそれはまあいい。
去年の10月に書いた「TSUBOUCHI」についての解説を続けてみようと思う。
この作品は真実が個人の数だけあるということを知ることによって作られた。曲ごとそれぞれにある種の真実がある。それを並べることで作った人間が何を意志しているのかを説明しようとした。そしてそれはある程度成功した。自分にとって。それだけだったと言えるだろう。その間激しく自己と対話して疲弊してしまった。
そうまでしてやらなければいけなかった仕事は終わった。
今、ここで生きる人々がそれぞれに、それぞれの現実を生きている。そして現代では、個人が現実をカスタマイズしながら生きるのである。カスタマイズされた現実を生きる個人の集合体がなにを意志するのか、それは時間が明らかにするだろう。
問題はそれが不可逆であるということだ。便利さを求めて幸福を失うように、それを一度手にしたら人は捨てることができない。
あらたに何を意志するのか、それは「ここではないどこか」にあるようだ。どこかを希求してデラシネのように生きてきたわたしが、「TSUBOUCHI」では何たることか、ここを必死に見据えようとした。
おもえば本質的に、相反する世界、ふたつの世界の境界線上で両方に足を置いているのが性にあっている。-marginal man
何年かに一度起きる、運命の流れに巻き込まれるように感じる。

先日「コクリコ坂から」を見た。劇中に海を船が滑って行くさまを見て、昔のことを思い出した。
まだ函館に住んでいたとき、真夏に東京にライブツアーで行って、深夜バスで帰って明け方青森からフェリーで津軽海峡を渡る。フェリーの端から函館山が見えて、ゆっくりと近づいてきたとき、訳もなく涙が出そうになった。懐かしさというにはさして時間が経っていたわけでもない。しかしあれほど帰ってきた、という気持ちになったことはない。いまそういう場所があるのか、ないのかもわからない。思えばずっと海は身近にあったから、そういう記憶からはじめたいなと思う。



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