2014年1月9日木曜日

音楽遍歴に関する私的覚書

G-ガルシア‐マルケス「百年の孤独」を読み終える。
めまいのするような内容だがこの物語は物語が物語られる過程で変容する、その、物語ることの本質
―風化と変容―そのものを感じる。
リチャード・アダムス「ウォーターシップダウンのうさぎたち」において語られる神話的世界が、終局、物語として語られるなかである種の神秘的伝説として変容した状態で語られるのを想起する。
 この本は11月に自分の企画「歴史の再帰性と対称性の破れ」で呼んだ幾何学模様のメンバーに勧められて読んだものだ。
 歴史の再帰性について、フラクタルを形作るものとしてこの本をすすめられて読んだところ、この本におけるエピソードの連なりによるフラクタルについて感応した部分は大きい。
 このホームページを作るにあたって、2011年の夏ころから一切見ることのなかったシベールの日曜日のライブ映像を見返し(いずれこれも何らかの形で公開したいと思っている)、過去がしっかりと現在の自分を示唆していることに驚いた。
「Gypsy house」とその時期に表現されていることは、2011年ころに追い求めていたであろうものが結実して出来上がったものであったのは間違いない。

対しては「Tsubouchi」において表現されているものは、このバンドを結成する以前の自分の非常に暴力的で反 抗的な面があらわれているように思えるので、過去と現在をかなり広いスパンで往復したような感覚を持っている。もちろん現在の状況がそうさせたので、制作 中は過去の感覚や出来事をひとつひとつ思い出すようなところがあった。
そのなかで印象的だったのは、(これはバンド結成以後のことだが)函館在住のあるラッパーの死を、あとから函館の友 人に聞いたことで、その本人とは面識がなかった(EPは持っている)けれど、ある点でとても偶然とは思えない符号があって、それ以後、言葉への取り組み方 が変わったというのがある。

 不条理な感覚 意識変性状態 メカニカルなものと装飾的なもの 
 
ある種の「ありえなさ」をはじめから志向していたことに気づいた。
ありえない状況が起こりうる、という感覚が状況を変えたいと願う人間にとっての希望となりうるという意味において、反抗的な人間はありえない出来事
をありえないと考えてはいけない。その意味で原点に還ってきた思いだ。

バンド再開にあたっては以下のような感覚で統合することが当面の目的だ

宙に浮かぶ 金属片にまとわりついたコンクリートの塊 その衝突
 横倒しのビル 水墨画
 幽玄 霧に浮かび上がる廃墟 長谷川等伯

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